なぜ名古屋を中心とした東海地方でピンサロをキャンパブ(キャンパスパブ)と呼ぶようになったのだろうか?
私が10代後半の20数年前はピンサロと呼んでいたような気がするが正確な記憶は薄暗い店内で推定年齢40歳のおばさんにフェラされて昇天した時に一緒に消去されたままである。
知り合いに聞いても正確な時期、由来は分からないしなんでもしっているグーグル先生も教えれくれません。
おばさんにオシボリでチンコを拭いてもらっている時の記憶を甦らそうとバイアグラを飲んでデリヘルを呼んだんだが記憶は戻りません。
名古屋に古くからある繁華街に女子大小路と呼ばれるエリアが栄にある。
栄四丁目にある280mほどの通りの通称である。
女子大小路一帯のことを女子大と呼ぶ
スナック・ホストクラブ・ヘルス・居酒屋などがあり狭いエリアに集中しており1970年代から80年代にかけて名古屋一の賑わいを見せていた。
現在の名古屋東急ホテルの場所に1963年まで中京女子短期大学(現・至学館大学短期大学部)がありにあり、大学体育館の西側の路地に並ぶ店の店主達がこの通称で呼ぶようになったのが始まりである。
平成10年頃(1998年・記憶が定かで無い)に女子大に花びら回転ピンサロ「ジャンジャン」があり一大ブームになった
あまりに派手に営業していたので摘発で閉店・その後「ぢんぢんぢん」が開店・閉店
ジャンジャンの摘発で女子大のピンサロ(キャンパブ)は消滅し名古屋駅西口が新たなピンサロ街となった
その時の名残でピンサロの事を一部の関係者が女子大といいはじめ・女子大がキャンパスへ変化しキャンパスパブへ変身し
最終的にキャンパブになったと推理するが
40様のおばさんのフェラ顔がよみがえり吐き気がしてきたので真相解明はヤメる事にする
ps 正確な情報を知っていましたらn-yoasobi@mail.goo.ne.jpまで
2012年10月30日
名古屋風俗学