この話は名古屋で初期にデリヘルを経営していた人から聞いた話である。
名古屋のデリヘルの歴史は、1990年代に首都圏で増加している出張ヘルスを真似てスタートした。
今から15年以上前の話で正確な年は不明だが1993年以降だと記憶する
保守的な土地柄とヘルスが多い事もあり、はじめの半年は電話もほとんど鳴らなかった。
ビラ配りや雑誌などの宣伝で少しずづ電話は増えた。
電話は増えたが今度は女性が足らず大儲けには程遠い状況が数年続いた。
テレクラで女性をキャチしては言葉巧みに働かせたりヘルスで稼げない嬢を掛け持ちで働かせたりして凌いでいた。
デリヘル嬢の普及は援助交際世代が後押したので初期のデリヘルは若い子が多かった。
一部の人に認知されつつあったデリヘルも1999年に改正風適法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)が施行(デリヘルや出張マッサージなどの無店舗型のお店の営業が警察への届出が義務付けられる) される事になりメディア(TV・雑誌)が取り上げた事により一気に認知されて客も爆発的に増えていったが店も増えたのでボロ儲けの期間は数年でピークを迎えた。
宣伝母体が雑誌からネットへのシフトが始まったのもこの頃である。
名古屋でデリヘルのネットでの宣伝が加速したのは、ネットのみ宣伝していた東京の高級デリヘルが名古屋に店を出す為に風俗サイトに広告を載せ始めたがキッカケである。
名古屋夜遊びガイドにも長年に渡り広告を掲載していただき感謝しております。
東京の高級デリヘルに対抗すべく名古屋のデリヘルもネットの宣伝を加速していった。
名古屋風俗の刀狩とも言うべき政策を風俗雑誌「シティヘブン」が行う事になる。
他の風俗サイトのアドレスを載せる事を全面禁止を行うと通達し風俗サイトへの攻撃を開始した。
サイトリニューアル前の「ヘブンネット」はサーバーが弱く非常に重い・検索順位が低く営業は伸び悩んでいた。
リニューアルした「ヘブンネット」はサーバー強化・SEO対策で検索順位を上げネットでも開花したのである。
ヤフーがグーグルのアルゴリズムサイト検索技術を採用するようになり2012年日本でもパンダアップデートが導入された。
PCからスマホへ代わり広告枠の減少が暫く続きそうですが...
名古屋夜遊びガイドの運営は1億で買ってくれる方が現れるまで続けますので
よろチンコ
2012-09-01
名古屋風俗学